2021/12/24〜26

祖父にLINEを送り始める。

見切り発車でネタがなくて画像に頼る。

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ちなみに「長野はそんなに寒くない」と言いつつ元気よくいつ見ても氷点下ではある。

 

25日、祖父の転移の発覚後、初めて上司とシフトが被ったので、話す時間をもらって状況を説明する。可能な限り帰省期間を長くしたい旨、できるなら当初の予定よりも早めに帰省をしたい旨を相談する。週明けに上司から更にその上司に掛け合ってもらう手筈を組む。

 

上司に説明をしながら泣いてしまわないか不安だったが、私は妙に冷静だった。上司からは業務的な連絡のほか「忙しい時期に私用で時間をとっていただいて申し訳ありません」の謝罪に対して「あのとき相談すれば良かったと後悔するくらいなら、気にせずに言ってね、そのときには戻れないから」と声をかけてもらった。

 

「今回の帰省だけでなく、これから祖父の件でご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」と、その日は他のスタッフたちに何度も言った。そのたびに「良い時間を過ごせたら、それでいいんですよ」と声をかけられた。

 

幸いなことに冬季の閑散期ということもあり、13日間の休暇を取れる仮段階となった。有給休暇を貯めておいて良かったし、国は取得の推進をしてくれていて良かった。

 

着々と事務的な手配を済ませていくうちに、なんとなく気持ちも一緒に整理されていく気分だった。太刀打ちのできない病に対する無力さや死への恐怖、生の危うさ、考えても仕方のないこと、でもどこかできちんと直面しなければならないこと。それらを私は事務的な手配を整えていくことで、どうにか自我を保ち、視界が徐々に整理され、そして自分が今見るべきものだけを見られるようになった。

 

私は祖父の希望通り「少しでも長く、普通の暮らしをしたい」を叶えるために尽力するしかないのです。

 

この辺りから、波はあるものの徐々にSNSで発言したり、友人と話したりができるようになってくる。進歩。