2021/12/21〜22

21日夕方に母から祖父の緊急入院の一報が入る。

夜に一度不在着信あるも外出中のため出られず。続報、文面では「無事に入院したので安心して」とのこと。

 

22日、前日にした検査の結果、癌の転移が発覚。祖父に余命なるものが与えられる。「余命とは?」と思いつつ祖母と母と通話するが、妙に冷静な私。母が卑屈なことを言うのでブチギレて電話を切る。

 

元々混雑時を避けて1月半ばに帰省するよう調整していたので「年末年始には帰省しない、資金的にも何度も帰省するよりは少しでも長く帰れるように調整する」と返すと「あっそ、もうあんたは一生おじいちゃんのお雑煮は食べれないんだね、覚悟しなさいね」と言われ「そんな卑屈な言い方しなくていいじゃん」と返す。すると「私ばっかり病院に行って医者から聞きたくもない話を聞かされる!」と逆ギレされたので「同居する長女なんだから当然でしょう」と諭すも「薄情者!」と罵られたので、おとなげなく「こっちは建設的に考えてゆっくり一緒の時間を過ごせるように考えてるだけだよ、話にならない」とブチギレて電話を切る。

 

今思えばひんやりとした報告を各所に伝えなければならない母の心持ちも分からなくはない。彼女の抱く悲しみや辛さには共感が必要だったんだろうとも思う。一緒に涙を流して、できるだけ早くそばに行って寄り添ってあげたほうが良かったのかもしれない。彼女はそういう性質の人間だということは、娘として心得ていたし、同時に少し冷めている私にとっては相入れない部分のひとつでもある。親子といえど違う生き物なのである。

 

そもそも後悔なんて絶対にする。

これまでかけてきた沢山の迷惑と、それに伴う感謝、すぐに飛んでいけない生活圏の違い、諸々に加えて今は感染症の蔓延具合だって懸念しなければならない。忘れてはならない、私は観光地で、色々なところから来た多くの人たちと接しながら働いているのだ。忘れてはならない、目の前に居る笑顔の店員にも、家族がいる。

 

でもそれでも、各々のこれまでの在り方や、置かれている現状のなかで最大限にやれるだけのことをやるしかない。今、これまでの人生で選び取ってきた自分の立ち位置で、己が持っている最大限の手札たちで、必ず来てしまうその日を迎える準備をするしかない。

 

それはそれぞれが当人と対峙するうえで起こることで、親といえど第三者が口を挟むことではない。近くにいようが遠くにいようが、何をしようがしなかろうが、多かれ少なかれそこに必ず後悔は生まれてくる。

 

それは来年の手帳を買うように当たり前に、無意識のうちに未来のこと、生きることを前提に日々を過ごしているからだと思う。自分にも明日があり、目の前の人にも明日がある。だから明日の話をする。突然それが確約ではなくなるのだ。後悔なんてしないわけがない。

 

ただ死を前提に生きるのとは違うとも思う。後悔があるからこそその時まで最大限に尽力をしようとするのだし、その日以降はその後悔を思い出たちと一緒に、心に宿しながら過ごしていく。それが「弔い」なのだと私は思う。

 

母とは相入れないまま終了。

私はこのとき、まだ涙を流していない。